pub-2319515676332694人生の指針 | 李 雛妃の算命学鑑定

人生の指針

Guidelines for Life 雑談
eye catching

人生の指針となる言葉

人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。
子供の頃、親に「自分がされたくないことを人にしてはいけない」とはよく言われた言葉です。
この言葉はもう一歩、二歩上を目指す言葉です。若かりし頃は、これが中々難しい。
自分の事で精一杯。心の余裕がないと実行できないものです。
マタイ7章12節
思い違いをしてはなりません。神はご自分を侮る者を大目に見ることはありません。人は自分がまいているものを必ず刈り取ることになります。
この言葉はいずれ自分自身に帰ってくるという教訓です。悪いものをまけば、悪いものを刈り取り、良いものをまけば巡り巡って結果自分自身良い方向になる。だから自分自身を見つめなおし正すことに努めなさいと言う事です。
ガラテア6章7節
何事にも時がある。 この地上の全ての活動には時がある。
この言葉は植えるのに時があり,植えられた物を引き抜くのに時がある。泣くのに時があり、笑うのに時がある。石を取り除くのに時があり、石を集めるのに時がある。 捜すのに時があり、失った物として諦めるのに時がある。保存するのに時があり、捨てるのに時がある。世の中の人々全て適切な時がある。今はどうしてもわからない事でも、その人にとって適切な時に分かるようになると言う事です。
伝道の書3章1節
私たちは皆,以前はそのような人たちの中で罪深い欲望に従って生活していました。自分の意志や考えのままに行動し,ほかの人たちと同じように,生まれた時から神の憤りを招く人間でした。
エフェソス2章3節

思う事

人間には理性と感情と欲望があります。理性があるから間違った事はしないでおこうと自分を律し、感情があるから悩み、傷つき、泣いたり、笑ったりし、大事な人を思う気持ちがあるから理性的にもなれます。でも、欲望は罪深いとあります。
ですが、私は自分の利益の為の欲望や人を傷つける欲望は間違っていると思いますが、でも(他の人を傷付けてまでする事以外)ある程度の欲望なら仕方が無いんじゃないかとは思います。そこには自分自身の向上も含んでいますし、自分自身を向上させてこそ見えてくる景色があり、そこから本当に大切なものが見えてくることもあると思います

ニーチェの言葉

  • あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう。
  • 信念は嘘よりも危険な真理の敵である。
  • 世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め。
  • 自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる。
  • 善にも強ければ、悪にも強いというのが、もっとも強力な力である。
  • 一段深く考える人は、自分がどんな行動をしどんな判断をしようと、いつも間違っているということを知っている。
  • 真実の追求は、誰かが以前に信じていた全ての”真実”の疑いから始まる。
ニーチェは、19世紀後半に活躍したドイツの哲学者です。彼の思想は、従来の価値観を否定し、新しい価値観を探求するものであり、現代の哲学に大きな影響を与えました。

ニーチェは、過去・現在・未来の区別なく、すべての出来事が永遠に繰り返されるという「永劫回帰」の思想を唱えました。これは、人生をより深く生きるためのヒントを与えるものです。
  • 真実は、客観的な事実または正確な情報です。それは、事実であると証明または確立されたものとして定義できます。
  • 信念は、ある事柄が真実であると信じていることです。それは、強い信念、信条、または意見として定義できます。
  • 唯一の道という言葉は、状況や文脈によって様々な意味を持ちます。
これらの概念は、それぞれ独立したものですが、相互に関連しています。ニーチェの言葉の数々には、その奥深い思想を反映したものであり、確かに色々と考えさせられる言葉がたくさん残っています。人間の生き方について考察していくと、人は弱く・迷いやすい生き物です。完璧な指針・意味がないと、やはり疑問しか残りません。

法律

  • 【公平】偏らず、えこひいきのないこと。
  • 【公正】公平で邪曲のないこと。明白で正しいこと。
  • 【中立】いずれにも偏らずに中正の立場をとること。いずれにも味方せず、いずれにも敵対しないこと。
  • 【平等】偏りや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと。
日本にも法律というものがあります。法律というのは守ってこそ意味があります。そして法の下では平等でなければなりません。それが相手や自分を守る術でもあります。

例えば、私たちが日常使っているハサミでも正しい使い方をすれば、便利な道具です。ですが、間違った使い方をすれば凶器になる可能性を大いに孕んでいます。

ですので、正しい使い方をしなければいけないという義務・責任が課せられています。
付け加えて言うなら、その義務・責任から逃げてはいけないということです。

ただ、全ての事に逃げてはいけない事ではありません。人生という荒波には様々な事があり、逃げるしかない、逃げるべきという事もあります。

一見矛盾しているように思えるかも知れませんが、その時の確固たる判断基準があります。今回は触れませんが、追々そういった事も踏まえて投稿していこうと思っております。

追記

仏陀は、弦は締め過ぎても緩め過ぎても、いい音は出ない、程よく締められてこそいい音が出る、比丘の精進もそうあるべきだ。つまり両極端の考え方や行動は避け、努力する程度を考えなければならない。仏陀は自分自身の修行経験を通して【中道】の大切さを知り、楽に流されることはもちろん、極端にがんばりすぎることも戒めました。

なまければ道を得られず、張りつめて努力してもけっして悟りには至らない。人は努力する程度を考えなければならないのだ。

上記の事も踏まえて考えると、人はどこまで正しい道を歩めるのでしょうか?

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